平昌五輪、グテレス事務総長と文在寅大統領との会話

2月9日、グテレス国連事務総長が平昌五輪開会式に先立ち文在寅大統領と会談し、意見交換が実施されました。北朝鮮の核開発問題や持続可能な開発、気候変動について会談され今回が三回目の会談とのことです。

会談内容は、主に北朝鮮についてでしょう。

今回の平昌オリンピックを機に、文大統領としては「月光政策」を加速させていきたいと考えているのかと思います。

 

そもそも北朝鮮と韓国が戦争に突入した理由は何なのか?

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【北朝鮮と韓国の戦争について】

 

 1950年6月25日、北朝鮮と韓国を分ける北緯38度線を北朝鮮軍が韓国に砲撃を始めたのです。当時の韓国の大統領である李承晩(イ・スンマン)は、この急な北朝鮮の砲撃があまりにも突然すぎて、侵攻を聞かされたのは数時間後と言われています。それほど、北朝鮮の韓国の攻撃は不意をつかれた形となったのです。

韓国軍は、総兵力10万であるのに対して、北朝鮮軍は総兵力20万でかつ、戦車や大砲の数も韓国よりも多く所有ていました。ですので、序盤は北朝鮮が韓国軍を攻め続け負け、2週間ほどでソウルからデグまで後退してしまいました。

しかし、国連軍が編成され北朝鮮の攻撃になんとか耐えることができていました。状況を一変させたのが「クロマイト作戦」でした。

北朝鮮も度重なる攻撃で食料や燃料との補充が必要でしたから、攻撃で停滞していいましたので、国連・韓国軍が陥落された江川にまで戻り挟み撃ちを仕掛けたのです。それが「クロマイト作戦(江川上陸作戦)」です。情勢が一変し、国連・韓国軍は攻め上げました。

国連・韓国軍が優勢でしたが、ここで恐れたのが中国軍です。彼らはさらに約20万もの兵力を注ぎこみ対抗したのです。その後も、北緯38度線で両軍にらみ合いが続き、しびれを切らしたのが、マッカサーです。戦争を終結に向わせたい彼は核の使用を提案しました。しかし、1951年4月11日全面核戦争を恐れたトルーマン大統領がマッカサーを解任しました。戦争の長期化と戦場がカオス状態に入り、1953年7月27日に、板門店で、北朝鮮、中国、国連の3軍で休戦協定が結ばれましたが、韓国の李承晩大統領はこれを拒否しました。

 

つまり、朝鮮戦争は停戦中であるというのが一般の解釈となります。

さらに補足情報として、日本の第二次世界大戦の被害者数は300万人であるのに対して、朝鮮戦争の被害者数は約400万人だと言われています。朝鮮戦争の悲惨さが感じ取れます。

 

第二次大戦後、南側がアメリカが占領し、北側をロシアが占領していました。

北朝鮮はロシアからのサポートではなく、中国からの軍事サポートを得て、朝鮮戦争をスタートさせました。未だに、朝鮮戦争は停戦中でいつ再開するかもしれない状態であるということを日本は十分に把握しないといけません。勝機があると思えば、北朝鮮は攻め込んでくる国であるということは共通認識として日本人が持たなくてはならないと思います。