イスラミックステート

イスラミックステート(IS)が今年7月に741名の市民を殺害したことが明らかになりました。このような、イラク国内の戦争犯罪を国内で裁くことはかなり難しい状態です。イラクに対して国連刑事裁判所で委ねることを検討するように求めています。

741名の死亡が報告されていますが、去年10月から今年の7月までにイラクの第二の都市モスルの奪還作戦のために死んでしまった市民は2500人余りにのぼっております。ISはイラク市民を人間の壁として扱い前に進んでいったと言われており、彼らの残虐性が伺われます。

 

このニュースをみてまず始めに感じたことは、戦争犯罪という言葉です。私にとって戦争という言葉は、1945年に終戦して以来、まるで死後のように感じられます。最近では、北朝鮮の核ミサイル開発や、ICBMの開発が進んでおり日本も戦争に巻き込まれるのではないかと言われていますが、実際に戦争が起きている訳ではありません。やはり私は平和ボケしてるなとー感じます。

この問題はISが明らかに国際法に違反し、多くの市民を殺害している彼らは許されるものではないでしょう。ただ、国際法の下に裁かれ彼らが改心するのでしょうか?法律というものはやはり難しいと感じざるを得ないです。法律は市民の合意のもと決定されるから法律の効果がある訳だと感じています。人を殺すこと自体が彼らの良心に反していない以上、その法に従うことを拒み続けるでしょう。人を殺す以上に、彼らが信じている神をしたがっているようですから、その神を信じない我々は理解し得ない存在何でしょう。例えこの事件を国際法で裁かれたとしても、「悪」になってしまった者は、どのように民主主義を取り入れようと思うのでしょうか?法治国家という概念がない人に対してのアプローチは本当に難しいような気がします。そもそも自分たちの国を作ろうとしている人が他国や国連に押し付けられた法に裁かれるのはかなり嫌がるでしょう。

ISの良心と我々が抱いている良心が異なっており、ISは我らの良心に従おうとしないなら、どうすればよいのか?

 

話し合いでwin-winのような、折衷案を見つけることは大きな課題だと思います。しかし、一筋縄にいかないことだと思います。多くの反発を受けながら、解決策を見つけないといけないと思います。一番の理想は誰も死なずに問題が解決できたら良いと思うのですが、すでに死んでいる人を考えると強制的な方法で解決しなくてはいけないのかもしれません。